地震災害

地震災害の被害

津波による被害

東日本大震災 津波の例 (大舟渡津波伝承館) をご紹介します。

東日本大震災 気仙沼 大川の河川津波の例をご紹介します。津波は海からだけではないのです。

同時多発火災による被害

東日本大震災の同時多発火災による被害

東日本大震災における火災の実態と今後の取り組み
総合技術政策研究センター 岩見達也氏資料

その他 参考情報

津波火災:朝日新聞デジタル: http://www.asahi.com/special/saigaishi/tsunamikasai/

なぜ大川小学校で74名の児童の命と、10名の教師の命が失われ釜石小中学校では全員が無事だったのか・・・?

石巻市の大川小学校・釜石市の小中学校には2つの大きな違いが存在しました

1 組織において 

釜石 :教育委員会組織のトップの柔軟な姿勢による英断がなされた 

釜石市教育委員会教育長加藤氏は子供たちに「命を守る力」をつけさせることが教育の原点と釜石市教育委員会はとらえ、市内の全小中学校を休校にして、全職員に職務として片田教授の津波防災講演会へ参加させた

大川 :慣例に縛られ、お伺いを立てないと責任者は決断出来なかった

学校においての最高責任者が、安全管理やリーダーシップをとり手腕を持つかどうかで、そこの生徒たちの命が左右されるという事実、組織のトップとは「その地位に見合った責任を果たせる人物であるべき」です・・・校長が不在だったその日教頭は最後まで迷い最後に最悪の道を選んだ

2 避難場所において 

釜石 :行政による避難場所がしっかりと整備され、指定されていた

過去に津波の被害を受けている釜石市では、山の斜面に「避難道路」と呼ばれる緊急避難橋が整備され津波危険時にはあちらこちらから上がれるように階段がある

大川 :近くの空き地・公園というあいまいな指定しかない

組織が機能しなくなる事態で頼るべき「マニュアル」が当時の大川小学校には事実上なかった。

しかも市のハザードマップには、大川小学校は浸水域から外れ避難場所に指定されていた

避難場所は「近隣の空き地、公園」となっており、具体的な記載はなかった。

校長はそのマニュアルさえも把握しておらず職員間でも共通認識は図られていなかった。

以上の2点の相違がここまでの命の差を生んだのではないでしょうか?

2018年9月 山田自身が石巻市の大川小学校遺族会の方、石巻市教育委員会の方を訪ね、双方のお話を伺い、現地を検証した結果、確信を持った内容であります。

「命を守りきる学校防災を考える会」
大川小学校の悲劇はなぜ起こったのか  

石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する
              池上正樹・加藤順子(著)株式会社 ポプラ社(発行元)


3.11午後2:46マグニチュード9.0
大川小学校には76人が学校に残っていた。現場からの生存者は児童4名と教員1名。
70名(1名は欠席児童) が遺体で見つかり、4名(1名の欠席児童)は今も行方不明。
児童の遺族は54家族にものぼる。教職員 13名のうち10名が亡くなった。

14:46  マグニチュード9.0の巨大地震発生。 
・机の下などで頭部を守る指示。その後校庭へ避難する。
・子供達を引き取りに来た保護者は、大津波警報が出されているので「山に逃げて」と山を指さして教師に警告する。(市教委の聞き取り調査から)
・A教諭は「山に逃げるからな」と児童に声をかけている。

14:49  6メートルの津波警報発令

14:52  防災無線のサイレンより6メートルの津波警報が伝えられた。
・高台への避難と海岸・河川へ近づかないよう繰り返しよびかけ。
・スクールバスは玄関前で何時でも発車出来るようにして学校の指示を待つ。
運転手が避難を苦言するが、学校からの指示は「待機」。5分あれば入釜方面への避難も可能。
・A教諭は山への避難を提案するが「何かあったら責任取れるのか」と言われ、強く言えなかった。
・教員間で、汚れたり、転んでけが怪我をすることで、責められるかも知れないという雰囲気があった。
・地区の人は交流会館に避難しており、校庭は教員と児童、保護者以外いなかった。
・3時前後に迎えに来た保護者は、山へ逃げるように進言するが、対応したB先生は「お母さん落ち着いて、ここは大丈夫ですから」と相手にしなかった。

15:14  大津波警報「10メートルの津波が来る」というラジオからの情報が先生方に入る。
・子供達からは「ここにいたら死ぬ山に逃げよう」と訴えがあった。
・先生は答えず、志津川出身の先生は「絶対山だ」と泣きながら訴えていた。
・校庭ではたき火の準備が始まっていた。早い段階で「避難はしない」という決定になっていた。

15:25  市の広報車が「松原を越えて津波、高台へ避難」をよびかけ通過。
・校庭から移動を開始したのは大津波がいよいよ迫って、川からはすでに水があふれていた時である。
・側溝からも水が噴き出し、子供達を向かわせた民家の裏は市道で狭いうえ行き止まりになっている。
・「三角地帯へ移動」と、教頭が指示。しかし、県道に出ようとしたら川から波の壁が来る。
先頭の児童があわてて引き返し山に向かった。
児童たちが追い込まれたのは、最も狭く、山の斜面も急な場所である。

15:35  児童はまだ県道に出ていなかった。 
                      
15:37  大川小学校に津波到達

「なぜ避難しなかったのか~命を守る組織ではなかったのか」 
・防災への知識・危険意識がなかった。
・防災への取り組みがなかったため、職員間で命を守る組織を作れていなかった。
子供の命を預かっている学校管理課においては、万が一に備えるのが常識です。
・防災教育ができていなかった。毎月の避難訓練は、ただやることとなっていた。

「なぜ検証が進まないのか~市教育委員会の体質」
・1年半かけてほんの少ししか、事実を明らかに出来ない市教委。
・51分かけて180メートルしか進めなかった大川小学校。
→誰も責任を持った決断ができなく、ぐずぐずしているのは、今の市教委もあの日の大川小も同じです。

「命より優先するものがある」
・市教育委員会としての対応、発言には管理下で子供が命を失ったという事の重さがない。
「命」より「立場」「組織」が優先です。判断基準です。
→この歯車を逆に回さなければなりません。

「遺族が専門家に求めていたもの」
・大川小学校の検証委員会では、設置要綱に検証の目的や事務局の所掌が明確に記されていない。
まさに「産・官・学」のとじこめられた利害関係の絡みあった検証委員会に、惨事の検証を託すことは、最初からムリがあったのかもしれない。

「第三者委員会の設置」
・行政側が先回りするようなかたちで第三者委員会を立ち上げようとする(あるいは立ち上げた)ケースも各地で散見される。 しかし、遺族側の意向を聞かないで検証の方向性や委員会を設計すれば、行政に都合のいい第三者委員会が出来上がると疑われても仕方ない。大川小学校の検証委員会は、本来、学校管理課で「命を守る決断を阻むもの」の正体は何かを検証しなければいけなかった。

2018年5月  大川小津波訴訟  勝訴 
・仙台高裁の判決は大川小学校の震災前の防災対策に不備があり、市教育委員会も指導を怠ったとして責任を認めた。
・大川小の危機管理マニュアルが「避難場所や経路、方法をあらかじめ定めておくべきだった」と不備を指摘。川が近い立地条件を踏まえれば、大川小が津波で浸水する可能性を事前に予見出来たと指摘。

2018年5月  石巻市長が上告の意向 
・石巻市の亀山紘市長が上告する意向を固め、市議会に臨時議会の開会を申し入れた。
仙台高裁は2審で「石巻市が危機管理マニュアルを改定する義務を怠った」として、総額14億3610万円の支払いを県・市に命じていたが、石巻市は同判決を不服としていた。
・2審において仙台高裁は「津波の危険性は予見可能であった」とし、事前防災に不備があったとして宮城県と石巻市に対して損害賠償の支払いを命じたが、亀山市長は「予見可能であったという判断は科学的根拠に欠ける。また、教職員に高度な防災対策を求めるのも難しい」と、上告に至った理由を語った。
その後議会の承認を得て、正式に上告に至った。

「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」  池上正樹・加藤順子(著)
                              株式会社 青志社(発行元)
今も「子ども達の死の意味を問い続ける遺族達」
:「子どもの死に意味を持たせたい」・・・「1年半経ったけど、何で区切りをつけて、どこで前をむいたらよいのかな。 健太たちが、大川小学校マリンズで野球やっている生活に戻りたいんです。 区切りなんてつけられないです。「行ってきます」ってでかけていってから、「ただいま」って帰ってこないんだもん。 いちばん安全だとおもっている学校に預けたのに、実際はそうじゃなかったから、区切りがつけられないんだ。

:通称、三角地帯と呼ばれる、国道と県道の交差点の辺りには、遺体が一杯並んでいた。翌14日の朝早く、俊郎さんと桂さんは、釜石に向った。みずほちゃんの遺体を、遺体安置所ですぐ引き渡して貰えるように・・・「あの光景は。何て言ったらいいんだろう。泥だらけの子どもたちが、並んでいるわけで
すよ。彫刻みたいな、模型みたいな物が並んでいるとしか思えない。近くに寄ってみると、みんな知っている子じゃないですか。だって、(集合写真を見ながら)この子もこの子も・・・信じられねぇよ・・・」かつらさんが泥だらけの顔や髪を拭いて、毛布を掛け、目の砂をとったら、右目からすーっと涙が流れ出てきた。「あ・・・おとうさん、みずほ泣いてる。私たちのこと待っていたんだね」それから5日間、火葬の日まで、みずほちゃんは、毎日涙を流した。

:「だから最後に、走って立てなくなったって聞いて、波を見て、おかなかったんでねえかって、腰を抜かしたと思うのね。腰を抜かして立てなくなったという状況を考えると、本当に、なんぼおっかなくて恐怖だったんだろうって。」
「50分も校庭に待たせておいて、子ども達に、おっかない思いさせて、全然移動もしないで、1分かそこらの時間で逃げろとは・・・。 なんで、もっと早く避難しなかったの?って思うよ。 こういう子ども達の気持ちは、教育委員会の人達や校長に、本当にわかってもらいたいんだけど・・・」ひとみさんは、そう訴える。
「大輔なんか、棺に入れても、血の涙をダラダラながして、拭いても拭いても、目から血の涙が出てくるの。 何回拭いても、また次の日また、血の涙を流して・・・(涙)  なんぼ死にたくなかったんだろうって・・・。」

なぜ、市長・市議会は責任を認めないのか (マザーアースの見解)
安心安全であるはずの学校の管理下でなぜこのような悲劇が起きてしまったのか、検証は遺族の納得いく形で行われるべきではないでしょうか。
津波が川を遡上してくることは、地震防災において初歩的な内容であり、亀山市長のいう「高度な防災対策を求めた」のではなく上告理由は承服しがたい。
釜石小学校と大川小学校との余りの差に愕然としたと同時に、子ども達と関わる大人達の志の高さにより、災害時は命まで左右される事実を保護者は認識しなくてはならない・・・保護者を含む大人達が「命を守り抜く覚悟」を持った時、すべてが良い方向に動き出すのではないでしょうか。
行ってきますと、安心であるはずの学校へ元気に出かけていった子ども達74名ものご家族は、その日を境に二度とその笑顔も声も聴くことが出来なくなった・・・こんな辛さをあなたの家族・友人・隣人に再びさせないよう・・・ご遺族達は勇気をもって語ってくださったのです。
行政に全てを任せていてよいのでしょうか、釜石小学校の優れた防災対策を茅ヶ崎の皆さんの住む地域にそった形でもう一度見直しませんか? 子ども達だけではありません、年老いた父や母、要支援者を「それぞれが覚悟をもって自身を守り切る」為に今何が必要なのか? それを「女性目線で検証して行きましょう。

釜石の奇跡3.11 大震災に立ち向かう184名のこども達・・・

NHKスペシャル取材班 執筆者 福田和代「釜石の奇跡」より抜粋
株式会社 イースト・プレス

3.11午後2:46マグニチュード9.0   
その時間、子ども達は校内に数名を残し多くは家のある浜辺の町へとすでに下校していた。
なぜ、それぞれの子ども達が学校で学んだ「命を守る力」を基に、自分で判断する勇気を持って行動ができたのか・・・「釜石の奇跡」は起こるべくして起こったのである。その背景には、先生方はもとより市教育委員会の英断があった。

2004年 群馬大学 片田敏孝教授が釜石市の防災・危機管理アドバイザーに就任

問題点
・防災講演会にきてくれるのはいつも同じ人達(防災意識の高い人か自治会関連の人)
・若い人たちの防災の意識、関心がない
                     ↓
改善策
・「子供」を対象にする事で親に関心を持って貰うこと(我が子の命を守る)
→子ども達は10年で大人になり20年経てば親になる、防災意識の高まった家庭で育つことは、その地域に防災意識を定着させる「10年単位の防災」の始まりになる

2005年12月  釜石市の全ての小中学生を対象に津波への意識調査を実施
結果は、津波常襲地帯で暮らす子ども達の回答とは思えないものだった
(質問)
学校からの下校途中に大きな地震が発生しました。あなたならどうしますか?
・「近くの高いところに駆け上がる」「近くの高い建物に入る」と答えた子は全体の3割にも満たなかった(家が浸水地域にある子どもたち)

(質問)
家に一人でいる時に大きな地震が発生しました。あなたならどうしますか?
・「一人で避難場所・避難所に逃げる」と答えた子は3割もなく「家族のひとが帰ってくるのを待つ」
・「お母さんに連絡する」「お母さんの帰りを待つ」など大人の指示を待つという傾向が明らかだった。
 →この結果を防災講演に来なかった親へ呼び掛け、防災教育の必要性を訴えた。
2006年1月23日   取り組みが大きく動き始める
・河東教育長は、釜石市の全小中学行を休校にするとともに、全ての職員に対して、職務として片田教授の津波防災講演会へ参加させた(英断と言える)
                  ↓
・小中学校の先生達が中心となり津波防災教育の研究会を立ち上げる。
防災教育のため定期的に集まり、教授のアドバイスの基、2年の歳月をかけて90Pにも及ぶ
「釜石市津波防災教育のための手引き」を完成させた。

2008年 私立釜石小学校の防災教育スタート   
震災前に釜石小学校が防災教育のために費やした時間は、1年を通して4,5時間程度。
その短い時間でも先生達の「知恵」と「工夫」により効果的な授業となった。
一般的訓練は校内火災想定でのグラウンド避難・地震時の机の下に隠れるなど。釜石小学校での訓練は
最も特徴的な訓練であり最も効果的な訓練だった。
① 下校時津波避難訓練
釜石小学校は高台にあるので学校にいるときは避難する必要はありませんが、一人で下校している時や、海の近くで遊んでいる時、一人で家にいる時などに大地震が発生したらどうすれば良いのか。
「いちばん近い避難場所まで一人で逃げなくてはいけない」と言う事を、子ども達に身につけさせるのが目的。
児童を地区ごとのグループに分けて集団下校
                 ⇩
地震発生のサイレン(揺れている間は地面にしゃがんで頭を守る)
                 ⇩
大津波警報サイレン(実際の防災無線から、町の人も巻き込んでの大規模訓練)
                 ⇩
避難場所まで実際に走って逃げる実践的訓練(学校で教わった中で一番役に立ったと)
② 「ぼく・わたしの安全マップ」 自分の足で調べる危険発見マップ
家から学校までの通学路を歩き、危険な場所や避難場所などを調べ地図に書き込む。
「地震で瓦が落ちるかも」「看板が倒れそうで危険」などがイラストと共に、書き込まれている。
自然災害だけでなく「車が多いので危ない」身の回りの危険についても記されていた。
その後、それぞれの「安全マップ」を基に、地区ごとに集まって危険な場所や避難場所を検討しあった。自宅の周辺だけでなく、友達の家に遊びに行った時どこに避難すればいいかを知っておくため。
 
防災マップは校内の目立つ場所に掲示され「どこにどんな危険があるか」「どこへ逃げればいいのか」といった情報が、常に子ども達の目に入るようにされていた。

3.11その日、地震の揺れに恐怖を感じながらも、すぐに避難場所を思い出して迅速に避難出来たのはこのような学習を繰り返していたからです。
保護者は、毎年「安全マップ」を子どもと一緒に作っていたので、避難場所がどこにあるのかすぐ思い出し「自分の子どもはきっと逃げている」と子どもを信じる事ができました。
このように皆が迷わず「てんでこ」が出来た背景には、学校の防災訓練があったのだ。

大津波を生きた・・・子ども達への取材から見えてきた訓練の大切さを知ろう!

「地震のあと、身体が自然に動いた」 小4 男の子
 激しい揺れの後、呆然としている祖母に、弟にジャンパーを着せたタックンは「おばあも行くんだよ!津波が来るから避難道路に行く」と、言い素早く的確な行動を取った。
 避難訓練の時は遊んでいるように見えた子が何度かの実地訓練で“身体が動いた”ようだ。
避難道路 子ども達が目指した先として幾度となく出てくる避難先。過去に何度も津波被害を受けてきた釜石市では、山の斜面に避難道路と呼ばれる緊急避難場所が整備されている。 
津波の危険がある時は、すぐに上がれる様、様々な場所に階段がある。

「母に避難を呼びかけ続けた」 小3 女の子
 学校に張ってあった「大きな地震が来たらすぐ高台に逃げましょう」というのが頭に浮かんできた。学校では「自分の命は自分で守る」と教えられていたので、まず“命を守らなくちゃ”と、思いました。揺れがおさまると「ここまで津波は来ないよ」という祖父母に「絶対津波がくっから逃げよう!」と後片付けをしている父祖母に必死に言い続けた。 自宅を出た所に父と母が合流し避難場所へ行く。
しかし母は、インコ鳥の様子を見に家に戻った。先に避難場所についた父に「ママが死んじゃう!」と言い続ける娘の為、母へ「早く避難して来い」と、メールを二度入れる。
お母さんが家を出て5~7分程後、家は堤防を越え町に押し寄せた津波に2階の天井までのみ込まれた。  もしお母さんが家を出るのがあと数分遅かったら途中で津波に巻き込まれていただろう。
「目の悪い祖母をつれて避難した的確な判断」小4年 男の子
 揺れがおさまると「避難しよう!」 と聴いたこともないような切羽詰まった真剣な声。
祖父母は自分達が逃げない限り、この子も逃げないからと避難を開始する。目の悪い祖母をつれて祖
より一足先に家を出たが…自分一人なら安全な高台へ避難するが、“祖母はゆっくりしか歩けない”
“津波が来るまでに辿りつけない・・・” 学校で教わった避難場所をいくつか思いだし、高さはそれほど
無いが、近いお寺へ向かうことにした。(自分達の状況を冷静に分析し判断したのだ)
「学校で習ったことを素直に受け止め必死で私達を助けようとしてくれた」
「本当にこういう人間になってくれて良かった」「孫がいたから私達は今ここにいる」と祖母は言う。

「お母さんを待たずに一人で行動した」小3 男の子
 発災時、両親ともフルタイムで働いて、家で一人お留守番をしている子も多かった。
この日、一人で今まで経験した事のない揺れの中で先生の言葉を思い出した。
“地震の後は津波がくる。子どもはすぐ流されるから素早く避難、自分の身は自分で守れ!
自分一人でも生き延びろ!”と、言われていたので「一人で行動しようと思いました」このままお母さん
を待ってちゃいけない!と避難場所へ向かった。 一方お母さんは「必ず避難できている」と、我が子を
信じ避難場所へと向かい家族と無事合流。 
もしお母さんが彼を探しに行ってたら、大津波に巻き込まれ二度と家族には逢えなかっただろう。

大人顔負けの判断力を見せた釣りグループ 小6 女の子6名 男の子2名
 海に到着し釣り糸を垂らすとすぐに何かが釣れた様に感じた・・・地震だった。
すぐ近くの海上保安庁釜石支店の駐車場に一時避難、すぐに50M離れた「津波緊急避難ビル」に指定
されている8階建てのビルをめざし走った。そこには近所の大人が集まってきていた。
両親から「子ども達だけでいるときに何かあったら大人について行きなさい」と、言われていた子ども達
だったが、肝心の大人達が一向に避難する様子がなくのんびり立ち話をしているのを見て、子ども達の
意見も対立する。”大人もいるし、市営ビルにいれば安全かな”と、最初は思ったけれど”大きな津波が来
たらビルが壊れるかも知れない”と、心配になりました。”壊れたら外に出られない” ”大人の指示を
待たずに別の所に逃げよう” ”避難道路に行こう!このビルより高くて安全、今なら津波が来る前に逃
げ切れる” ”大津波が来たら市営ビルは孤立して他に逃げ場がないけれど避難道路なら後ろが山なので
さらに高い所にも逃げられる” そう色々考えて「避難道路のほうが安全だと判断しました」と、話す。
その後2階の天井まで浸かった市営ビルは津波避難ビル指定から外された。子ども達は、ただ走って逃
げただけではなく、目の前の選択肢の中から最適なものを選びとって避難していたことがわかる。
学校で津波の猛威がどれ程のものかを学び、どうすれば命を守ることができるのか、きちんとした教育
を受けていたからこそ「犠牲者ゼロ」が実現したのだ。

釜石小学校184名の中で当日津波浸水域にいた子どもは100名超。
話を聞いたその半数の子が「あの日津波を見て良かった」と異口同音に語った。
「この目で見たことを全国の人に伝えたい」 「100年先の人にまで伝えたい」
「もう誰も津波の犠牲になって欲しくない・・・」 あの日、避難道路から流されて行く我が家を見届けていた子ども達の強いメッセージを受け止めてください。

マザーアースの仲間達が感じた 「大きな違い」
★ 最重要事項である津波避難場所を釜石小では、市がしっかりと整備、避難場所を選定する事で、そこへ逃げる訓練がしっかりと実施出来ていた。
★ 行政・教育委員会など権限を持つ人間の姿勢・規範の違いで、物事はここまで極端な結果になり得る。人選を間違えると恐ろしい事になる。
★ 防災教育を取り入れる色々な重要タイミングで、同じ目線を持つ人達との出会があったという幸運
★ 震災が起きた時に、自分で考え判断し、勇気をもって行動する「生きる力」を育む防災教育が重要と
  関わった大人達が同じ目標を持って行動出来た。
子ども達の「生きる力」を育む為に、教える側の先生達の熱意や姿勢が問われるのではないだろうか・・・大人の方に、真正面から命と向き合う姿勢がなければ、子ども達の「生きる力」は育めない。
このように、今後必ず体験する地震災害を乗り越える為には、子ども達の防災教育には大人達の連携が必要不可欠であり「自分の命を自分で守り抜ける子にする事」が私達大人の務めではないでしょうか。

1. 想定にとらわれるな
2. 最善を尽くせ
3. 率先避難者たれ 片田教授の「津波避難の三大原則

マザーアースはこの「避難三大原則」は津波に限られた事ではないと考えています。
震災後の津波、その後の同時多発火災・風水害などあらゆる危機・あらゆる地域に当てはまるのではないでしょうか、茅ヶ崎市に当てはめた時、大きな問題点が鮮明に見えてくるはずです。
まず、大川小学校と釜石小学校、両校の災害時における経緯を私達大人が知り、行動する事で
「茅ヶ崎の子ども達にも”命を守る力”を身につけてもらいたい」と、願っています。

釜石小学校で奇跡を起こしたのは子ども達ですが、そこにいたる過程には多くの大人達が関わり小さな奇跡を起こしてきたのではないでしょうか・・・。 一歩を踏み出す志を持った人同士の出会いこそが、多くの命を守り抜き、教訓を後世に伝えられたのではないでしょうか。
今後必ず起こる大災害に向けて、”命を守りきる”教訓を広めなければ大川小学校で犠牲になった
”尊い命”が悲し過ぎます・・・このようなことが二度と起こらないための一歩は”守るもの”を持った女性達が集うことです、最初はお友達やご近所とご一緒に、マザーアースからの情報を見てください。

茅ヶ崎でも検証が必要です・・・H23年3月11日に次のような事が起こったと記載されています。

★学校に保護者が迎えに来るため、職員が対応せざるを得ない事態となった
 (保護者対応より優先すべきことが、おろそかになる事は危険だ)

★事務職員が子どもの安全確保が出来るまでは保護者に返さなかったのに、第一次避難所で子どもを保護者に渡し、亡くなった子どもを出してしまった
 (学校に迎えに来て連れて帰るという行為自体が、一刻を争う災害避難の時間的危険を増大させる)

★保護者が学校からの連絡待ちで家に待機していたこと。その結果、津波の被害にあってしまった
 (子どもと学校を信じて一人でいち早く避難所へ向かう事の重要さ、そこで必ず逢えるのです)
★そもそも、市の指定広域避難場所には何名が来るのか予想が出来るのだろうか? 避難場所に入れず「逃げ惑う事は死を意味する」と住民に周知され各人が選択を考えているのだろうか?
以上の4項目は、今すぐに学校・保護者・住民の間で検証し、話し合われなくてはならない重大な事柄です。
地域の危険は住民がいちばん気づくはずです、地域住民も学校も行政もボトムアップの防災がどこまで出来るかが重要と考え、早急に一歩を踏み出すべきではないでしょうか。
今の茅ヶ崎市の学校の防災マニュアルの現状は、大川小学校・釜石小学校どちらに近いでしょうか?

:茅ヶ崎市の学校の災害対応マニュアルは保護者が迎えに来ることになっていませんか?
:海岸近辺の学校は、そのままのマニュアルで危険ではありませんか?
:震災の実体験から出た言葉を聞き流してはいけません、もしここなら・・・イメージできますか?
:災害現場では各人の「自分が自分の身を守る覚悟」が家族をも守る事につながると思っていましたか?
:発災時、子ども達を信じ心配しなくて良いのであれば、お年寄りや要支援者の方々へをつれて一刻も
早く広域避難場所に向えるってイメージを持てましたか?
:防災訓練はいつも同じ人達の参加がほとんど、守るものを持つ世代住民への周知出来てますか?

最初の判断さえ間違えなければ、必ず愛するもの達と逢えるのです・・・自分達も変わらなくては・・・
その最初の判断をすべきは・・・今です
KNOWLEDGE(知識)   POWER(人の力)  CHANGE(変わる)
「どうせ変わらない」から「変えることができる」へ・・・
どんな小さな疑問でも、提案でもご連絡ください ・・・ 女性達がつながれば何かが変ります

マザーアースは防災に関する全ての事を女性の目線と直感で見直します、そこには行政や国からの指示で動く依存ではなく「かけがえのないもの達を守りたい」と思う愛からうまれる自らの行動があるのみです・・・

マザーアース茅ヶ崎 発起人 山田秀砂(ヒサ)
東海岸南6-4-37 PGC B-307 問い合わせ 090-3236-6285 山田